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創園長おたより

 滝山しおん保育で毎月発行している園だよりに掲載された記事です。

023年12月号

『わからないから面白い』

 人間は生まれてからずっと学び続けている存在です。まずは人間としての直立の姿勢や二本足での歩行、話すこと、そして考えることも学んでいきます。乳幼児期は人間として生きていくために必要のあることを身につけ、体を通して学ぶことによって「人間になっていく」のです。その際、これを身につけたいとか、これを学ばなければいけないというような意識を持つことはありません。生活の中で、周りにいる大人などの人間の営みを見て、体験して、それを無意識に真似して、身につけていきます。私たち大人は、子どもがどのような人間になっていくかのお手本です。

 

 そして学校に行くと、頭を使って学ぶことが始まります。学校は学ぶ場所であり、大学でも、資格取得のためにも、職場や社会の中でも、私たちは学び続け、学ぶことが必要だと誰もが当たり前に考えています。学ぶことによって、この社会で生きていくために必要な安心感のようなものを得ようとしているのかもしれません。学校教育で「学ぶ」ということは、必要な既存の正しい知識を正確に理解し覚えることで、与えられた問いに対して正しくし答えられるように学ぶことが要求されます。そしてその繰り返しの中で、自分は知っている、「わかっている」と思い込んでいきます。

 しかし世の中には、自然界には、人間の中にも、自分の中にも「わからないこと」がたくさん! 「わかっていること」(既存の知識)は、実はそんなに多くなく、「わからないこと」の方が無尽蔵にあるのです。そして既存の正しい知識は、実は間違いであることもあり、新しい研究や発見などによって訂正され続けていきます。

 私たちは「わからないこと」ばかりの中で、知らないこととの関わりの中で、暮らしていることを自覚している必要があるのです。「わからない」は、私たちを不安にし、自分が無能であると感じさせることもありますが、「わからない」があるからこそ、学ぼうとする衝動を自発的に持つことができます。「わからない」が、学ぶ機会を与えてくれるのです。

 今の自分自身を見てみると、このような人間になることを以前から思い描いた人は、おそらくいないのではないかと思います。その子どもがどのように成長していくのか、どんな人になっていくかが「わからない」からこそ、その子どもに関心を持ち、その子どものことを学んでいきたいと思うことができます。それは子どもだけでなく、共に生きる人たち、そして自分自身にも当てはまります。

 「わからない」状態が悪いと考えたり、どうにか「わかろう」ともがくのではなく、「わからない」状態を、「問い」として心の片隅に持ちながら生活していくと、ふと「わかる」瞬間が訪れたりもします。人間は「わからない」から面白いのです。たくさんの「わからない」との生活を楽しみたいものです。

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