吉良 創園長おたより
滝山しおん保育で毎月発行している園だよりに掲載された記事です。
2024年2月号
『色眼鏡を外したら見えてくるもの』
「この子は〇〇だから」「〇〇さんは、いつもこうなのよね」などと、私たちは、無意識のうちに、子どもに対して、家族や同僚など共に生活している人たちに対して、いろいろな先入観を持っています。
人間の行動や思考、感情は、一人ひとり違っていて、その人ならではの傾向があります。
それはその人の個性、気質の様なもので、その傾向を持っているのは事実ですが、それを、「この人はいつもこう」と決めつけてしまうことがよく起こります。「あの人はB型だから」とか「あの人は乙女座だから」といったこともその一つかもしれません。
特に子どもの場合は、成長発達のプロセスの中にいますから、本当は日々、変化し続けているはずなのに、決めつけてしまうことによって、その変化に気がつくことができなくなってしまいます。
最近はあまり「レッテルを貼る」という言葉は使わなくなっていますが、「レッテル」「ラベル」に書かれた情報だけしか受け取らず、中身は見ずに、その情報で中身を決めつけてしまうということは、簡単に起こります。特に相手が人間の場合、それが子どもであっても大人であっても、レッテルを貼ること、先入観、固定概念を持つことによって、本当のその人自身に出会うことができなくなってしまいます。
子育て、保育、教育の場では、その子どもの成長発達をしっかりと観察し、その存在に耳を澄ますことが不可欠です。子どもを観察すること、子どもの存在に耳を澄ますことの前提になることは、その子どもに興味、関心を持つということ。興味を持つ、関心を持つという行為は、本来自分の意志を伴なっていて自主的で自発的です。そして興味・関心を持つということの原点となるのは、その子どもに対する愛。愛がないと興味、関心は生まれず、無関心になってしまいます。
その人に対する先入観、固定概念が強くなると、その色眼鏡を通してその人を見ることになり、色眼鏡で見えるその人をその人そのものだと思い込んでしまいます。そしてその時には、実はその人そのものには無関心になっているのです。そして色眼鏡に映った姿としてのその人にどんなにアプローチしても、その人そのものではないですから、うまく関わることはできないのです。
先入観、固定概念にとらわれず、色眼鏡もつけずに、目の前にいる子どものありのままの姿を、事実としての今の子どもの姿をよく観察していくことによって、ラベルではなく、その子どもの中身、目に見えない心の状態にも気がつける可能性が出てくると思います。事実に即した行為は、良い結果を導いていきます。
人に対してだけでなく、自然界、世の中で起こっていること全てに対しても、溢れる情報によっていつの間にかかけてしまっている色眼鏡を外して、事実・真実を見つけていきたいものです。