吉良創園長お便り
こちらは、園だよりで掲載されている巻頭言です。
2021年4月号
『カムイとコタンと保育園』
アイヌの子育ての話です。ずいぶん前に園だよりで紹介した内容ですが、コロナ禍に新しい子どもたちを迎えるにあたり、再度共有したいと思います。
アイヌにとって、人間の持ち物の中で一番大切なのは「名前」(アイヌレ)。人は死んでも名前は残る、という考えがその背景です。名前が大切なものなのに、アイヌは赤ちゃんに名前をつけません。名前をつけるのは、二歳、三歳になって、ちゃんと喋ることができるようになってからです。
言葉を話す前はまだ人間でないと、アイヌは捉えているのです。それは赤ちゃんが人間以前の下等なものだからではありません。赤ちゃんは「カムイ」なのです。「カムイ」とは「神様」。アイヌにとって赤ちゃんは、人間ではなく神様なのです。赤ちゃんは、泣くとおっぱいがもらえ、泣けば寝かせてもらえる、泣けば抱っこしてももらえます。何か欲しいときは、言葉でその意志を伝えるのではなく、泣くことによってそれを叶えてしまいます。言葉がいらない存在、泣けば用が足りる存在なのです。このような存在は神様以外にはあり得ない、とアイヌは感じているのです。
神様に「しつけ」はいりません。しつけてもいけません。赤ちゃんにしつけは必要なく、しつけは言葉を話し始めてからでよいのです。言葉を話すことによって人間になるのです。人間になると、わがままになり、自分の欲求を満たすために嘘もつくようになります。もちろんアイヌは、人間となった子どもを大切に育てていく文化を持っていて、神様である時期の子どもだけを大切にしているわけではありません。アイヌは自然、生命をとても大切にする文化を持っているのです。
赤ちゃんは「カムイ」ですから、その子を生んだ母親のものではありません。母親は神様から預かっているだけなので、その時期にはしつけをしなくてもいい、赤ちゃんのことで一喜一憂するな、とアイヌの長老は語っています。では赤ちゃんは誰のものかというと「コタン」(村)のもの、つまり皆のものなのです。「コタン」の皆で子育てをしていくのがアイヌの文化。赤ちゃんは「カムイ」であり、「コタン」のものなので、皆で大切に関わっていくのです。
アイヌの「コタン」のような、皆で一緒に生き、一緒に子どもを育てていく文化が失われるとともに、個の意識が発達してきたのが現代人でないかと思います。しかし今の社会では、自分の子どもを自分の所有物のように接したり、他人の子どもが何をしていても無関心で関わることを避けたりするような傾向があります。私たちは現代人として、意識的に「コタン」を作っていく必要があるのです。人生の最初の特別な時期の子どもたち、神のような子どもたちが、健やかに育っていくことのできる「村」を作っていくことは、子どもと関わっている親や保育者、そのほか全ての大人の課題なのではないでしょうか。
新年度の始まりに際し、滝山しおん保育園は、現代社会のなかで失われてしまった「村」の役割を少しでも多く担っていかなければと思います。皆さまご一緒に「カムイ」を育んでいく「コタン」を作りあげてまいりましょう。