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025年7月号

 

『サービスと自発性』

 

 人間は皆、社会の中で他の人たちと一緒に生きています。他の人のために何かをしたり、他の人に助けてもらったり、一人でできないことが皆と一緒にできたりというプラス面もたくさんあると同時に、他の人からマイナスの影響を受けたり、社会の中でストレスを感じることも当たり前に起こります。集団の一員として生きていくことは、もちろん必要な大切なことなのですが、それがうまくいくための前提は、一人ひとりの人間が、個人として地に足をつけて自分らしく生きていること、一人で生きていけるということでないかと思います。

 

 子どもは先ず身体を自分でコントロールしていくことを学びます。自分で食べ、排泄も管理できるようになり、身体を清潔に保つことも、さまざまな身体能力を身につけていきます。成人するまでに、学校での勉強だけでなく、生きていくために必要な、掃除、洗濯、料理といった人間が生きる上で必要な営みを身につけ、最低限は自分のことは自分でできるようになる必要があります。成人した時に、経済的に自立しているかどうかは別にして、自分が一人でも生きていける人間になることはとても大切。そのために身体も心も精神もしっかり育っていることはとても大切です。そして一人で生きていく能力は、日常の生活だけでなく、大きな震災などが起きた際には生き残っていくためにも大切でしょう。

 

 子どもが自分のことを自分ですることを邪魔するものがあります。それは子どもにお伺いを立て、子どもの言いなりになんでもやってあげること。過剰なサービスと言ってもいいかと思いますが、子どもが自分でできることを、自分ですることができるための時間、空間、そして自分でやろうとすることができるような、接し方が必要なのです。それは、これから身に着けるべきことに自分からトライしてみることのできる環境です。

 

 現代のI T 社会では、人間が自発的に考え行動しなくても済むように、A I  のサービスによって「私が欲しいもの、知りたいこと、やりたいこと」などが与えられるようになりました。便利になったとも言えますが、自分で感じ、考え、欲して、自発的に行動することがそれによって少なくなっているのではないでしょうか。

 

 人間になっていくプロセスの途上にいる子どもたちが、その年齢に応じたやり方で、感じ、考え、欲して、自発的に行動できる環境を整えてあげることが、子どもと接する大人の課題です。子どもへサービスするのではなく、人間として地に足をつけて、バランスの取れた人間らしい生活を送っている大人の姿が子どもの傍らにあると、子どもはそのようにしたい、なりたいと感じ、自発的に自主的に行為していくことが始まります。この自発性こそ、子どもの持っている自ら育っていこうとする意志、生きていこうとする意志なのだと思います。

2025年6月号

 

​『ありのままの子どもとの出会い』

 

 「〇くんはダンゴムシが大好き」、「〇ちゃんは青菜がきらい」、「〇くんは折り紙が上手」、「〇ちゃんはいつもトイレに行きたがらない」、「〇くんは泣き虫」、「〇くんはじっと座っていられない」、「〇ちゃんは友達にとてもやさしい」などなど。子どもとの関わりの中で、その子どもの好き嫌いや行動のパターンなどを私たちは感じています。

 

 そして、いつもその子どもに接していると、その子のことはよく知っている、わかっていると感じるものです。しかしそれがいつの間にか、その子どもについての固定したイメージとなってはいないでしょうか。この子はこうだから、この子は何が好きだからというようなイメージの方が優先され、子どもと接していても、子どものことをちゃんと見ないでいることは簡単に起こります。その子はこういう子どもだという、大人が一方的に作った固定したイメージを持つことは、言わば先入観のようなフィルターを通してその子どもと接すること。本当の今の子どもの姿と出会うことはできません。

 

 当然その子どもには、その子ども独自の好き嫌いや行動のパターンなどが実際にあります。その子どもの個性とも言えるでしょう。しかし子どもは成長発達の道を歩んでいて、同じところに留まっていません。日々成長している子どもと本当に出会うためには、その都度、新しくその子のことをよく観ること、その子の存在に耳をすますことが必要です。

 

 その子が今までこのようなことをしてきたという過去の出来事は事実で、それを変えることはできませんが、余計な判断無しに事実として受け入れることは結構難しいものです。その逆に、この子にはこうあって欲しい、こうなって欲しいという期待や希望、あるいはこうあるべきだ、4歳児はこれくらいできて当たり前というような押し付けとなる未来像を持つことは、とても簡単で、無意識にそのような未来像を大人は持ってしまうものです。そしてその未来像のようにすることが子育て、保育、教育の目的になってしまいます。しかし、その子の今を観ること、その子の今を、良い悪い、好き嫌いという私たち大人の主観的な判断抜きに客観的に観察することによって、その子どもの今の姿が見えてくるのです。事実としての今のその子ども、ありのままのその子どもです。

 

 子どもとの生活の中で、植物観察をするかのように客観的に、でもその子への興味関心を持ったあたたかな眼差しで子どものことを観る時間を少し作ってみませんか。少しずつその時間が積み重なっていくと、その子どもの生まれながらに持っている「自ら育っていこうとする意志」と出会うことができるかもしれません。それは、ありのままのその子どもと出会い、受け入れることにつながります。大人の勝手な一方的な愛情を押しつけるのとは違う、子どもに対する、お互いの存在が尊重されるちょうどよい距離感を持った愛が生まれるきっかけになるかと思います。

 

 ありのままの自分が受け入れられていると感じることができると、子どもは自分が生まれてきて育っていくことの意味、生きていく意味を、その年齢なりに感じ、見つけていくことができます。ありのままの自分が受け入れられていることが感じられること。それはもちろん大人にとっても大きな意味があります。

025年5月号

 

『よいことを身につける手本としての大人と躾(しつけ)』

 

 日本語には「身につく」という表現があります。「身につく」とは、あることが習慣になっていつでも無意識に当たり前に、できるように、動けるように、行為できるようになるということです。また、「しつけ」という言葉があります。「しつけ」は「躾」という字も使いますが、この字には「身」が含まれています。そして「躾」とは、人間としての当たり前の行為、美しい行為を「身につけさせる」こと。「身」「身体」は、子どもの成長発達にとってとても大きな意味があるのです。  

 

 乳幼児期は、特に身体の成長発達が集中して行われる時期。この時期の身体の成長発達の結果が、その後の人生に大きく影響をもたらします。身体が成長発達していくと同時に、さまざまな運動能力を獲得していきます。できなかったことが、どんどんできるようになっていきます。そして、この時期に身についたこと、できるようになったことは、特別なことがない限り、できなくなることはありません。

 

 「躾」に関して例をあげてみます。食事中に、口に食べものが入っているのに口を開けてしゃべる、肘をついて食べる、というようなことは、栄養摂取という意味での食事だけを考えたらどうでもよいことでしょう。でも人間の食事、食に関する文化、ということを考えると「躾」として、習慣として、身についたらよいことだと思います。

 

 ではどうしたら身につくのでしょうか。身につくために必要なことは「繰り返し」。楽器やスポーツの練習を思い出してみると明らかでしょう。繰り返すうちに、考えずに、無意識に、当たり前に、動けるように、できるようになっていきます。頭ではなく「身体、からだ」が学ぶのです。「身体」が賢くなると言えるかもしれません。しかし「口にものが入っているときはお話ししてはいけません」「ご飯のときは肘をついてはいけません」と繰り返し言っても、そのように叱っても、なかなかできるようにはならないものです。言葉は目の前の実際の行為と比べて抽象的で、乳幼児にはわかりにくく、文字どおり「言うことは聞かない」のです。

 

 子どもの周りにいる大人は、子どもがどんな人間になっていくかを導く「お手本」です。その大人が口にものを入れてしゃべったり、肘をついたりしていたら、子どもは、食事中にはそのようにするものだと、当たり前のこととして「身につけ」てしまいます。

 

 子どもが身につけるべきことが、私たち大人の習慣になっていたらどうでしょう。これは、最も簡単な「躾」の方法なのです。習慣になって身についていることは、繰り返し無意識に子どもの前で行うことになるので、子どももそれを繰り返し体験し、真似して繰り返し行ううちに、それを身につけていくのです。

 

 しかし、よいお手本であることは、なかなか難しいかもしれません。子どもが身につけるべきでないことを、子どもの前では「行わない」、「言わない」、「考えない」ということの方が、簡単に「お手本」になる方法かもしれません。是非やってみてください。そして、子どもが身につけたらよいことを、当たり前にできる、そんな大人でありたいものです。

025年4月号

『思考→言葉→行い→習慣→性格→運命』

 

 あなたの思考に気をつけなさい、それはあなたの言葉になるから。

 あなたの言葉に気をつけなさい、それはあなたの行いになるから。

 あなたの行いに気をつけなさい、それはあなたの習慣になるから。

 あなたの習慣に気をつけなさい、それはあなたの性格になるから。

 あなたの性格に気をつけなさい、それはあなたの運命になるから。

                        マザー・テレサ

 

 Be careful of your thoughts, for your thoughts become your words.

 Be careful of your words, for your words become your deeds.

 Be careful of your deeds, for your deeds become your habits.

 Be careful of your habits; for your habits become your character.

 Be careful of your character, for your character becomes your destiny.

                         Mother Teresa

 

 この言葉を私はとても好きなので、滝山しおん保育園の園だよりの巻頭文で今までに何回か取り上げました。以前とは違う翻訳で再度紹介いたします。

 

 乳幼児が共に生活し生活の中で出会う人たちは、その子どもの親や家族親戚、保育園の保育士や職員など誰でもが、子どもにとって、自分がどのような人間になっていくかを方向づけるお手本です。乳幼児は、周りにいる大人の思考を、言葉を、行いを、習慣を、性格を無意識に真似していきます。真似することによって身につけ、そのような人になっていきます。

 

 私たちが普通に、頑張らなくても自然体で当たり前に、よいことを考え、よい言葉を話し、よい行いをして、よい習慣も持ち、よい性格を育んで行くと、よい運命の担い手となっていくのだと思います。そして私たち自身が、そのような人間であったら、傍にいる子ども自分の個性を発展させながら、自分に相応しいよい運命を生き、切り開いていくのです。

 

 新年度が始まり、新しく出会う子どもたち、昨年よりも成長した子どもたちと一緒の生活が始まりました。この子どもたちが成長していくプロセスを共に生きる大人として、マザーテレサの言葉を心に留めて、大人自身も自己教育を続けていけたらと思います。その際、今の自分、今までの自分を否定して頑張るのでなく、ありのままの自分を受け入れた上で少し努力してみるのが大切なのだと思います。自ら成長発展し続ける大人こそ、成長発達のプロセスを生きている子どもの、よきお手本です。

© 2022 by Takiyama Shion Hoikuen. All rights reserved.

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