吉良 創園長お便り
こちらは、園だよりで掲載されている巻頭言です。
2021年8月号
『選ばれたものとして』
親は子どもを選ぶことは出来ません。頭のいい、才能を持っている、皆から好かれる、健康な子ども。私たち大人は子どもにこのようになって欲しい、このように育って欲しいという理想的な子ども像を持ちます。そして、そのような子どもにするためにはどうしたらよいかを、考え、行います。もし親が子どもを選ぶことが出来たら、望み通りの子どもを生むことが出来たら、子育てはとても簡単なことになっているでしょう。
また、背が高く、顔立ちがよく、よい声で、高い身体能力を持っているなどの希望を持っていたとしても、そのような子どもを産み分けることも当然出来ません。将来、医学の進歩で何らかの産み分けが可能になったとしても、子どもの個性まで選ぶことは不可能でしょう。
私たちが出来ることは、生まれてきた子どもの体質や気質や精神的個性を、子どもが生まれながらに持っているもの、携えてきたものとして受け入れること。ありのままのその子どもの姿を受け入れることが、子育てや教育の出発点です。
こうあってほしいという大人が描く子ども像が、その子どもが育っていく道の先にあるのなら、子どもはそのように育っていくでしょう。しかし、大人の描く子ども像が子どものこれから歩んでいく道にない場合、そのためにどんなに親や教師が努力してもうまくいきません。そして、この子はなんでそうならないか、ということに大人はいらいらしてしまいますし、子どもも大きな負担を感じます。
子どもがどのように育っていきたいかを教えてくれるのは、その子どもだけです。そして残念ながら言葉では教えてくれません。そこに気づくために私たちが出来るのは、先ず子どもをよく見ること。ありのままのその子どもの姿をよく観察してみてください。例えば身体。目、眉毛、鼻や耳の形、髪や肌の質、歩き方、話し方、食べ方、眠り方などなどを、植物観察をするように出来るだけ客観的に、主観的な判断なしに見ていきます。それによって、形や動きといった目に見える現象として現れている目に見えないその子の本質に近づくことが出来るのです。
子どもの観察を通して、こうあって欲しいという子ども像ではなく、今のその子どもの生き生きとした姿のイメージを持つことが可能で、子どもの自ら育っていこうとする意志に、少し近づくことが出来ます。もちろんすぐにこの子はこう育ちたいのだ、とわかるわけではありませんが、子どもは親や教師が自分のことをちゃんと見てくれている、受け入れてくれているということを感じるのです。そこに表面的でない信頼関係が生まれます。
その子どもがこれから先どのように育っていくかは、親にも教師にもわかりません。だから子育てや教育は難しいけれども面白いのです。そして、それだからこそ、子どもの今の姿をしっかりと見ることが大切なのです。
親は子どもを選ぶことは出来ないですが、子どもは親を選んで生まれてきているのでしょう。そのことを子ども自身は忘れてしまっていますが、子どもは自分の選んだ、親や大人を信頼したいのです。それに答えていけたらと思います。