吉良 創園長お便り
こちらは、園だよりで掲載されている巻頭言です。
2022年12月号
『一人ひとりの個性としての光』
「他は己ならず」(タハ、コナラズ)という道元の言葉をご存じでしょうか。随分前ですが、瀬戸内寂聴さんがこれについて話されているのを、たまたま聞きました。およそ以下のような内容でした。
「生きることは愛すること。そして他の人を愛するためには、まず自分のことを愛さなければならない。自分のことを愛し、褒め、受け入れることが大切で、自分を愛することができるゆとりがあってはじめて、他の人を愛することができる。自分のことを愛することができない人は、他の誰かを愛することができない。道元の言葉通り「他は己ならず」で、他人は自分と同じでない。だから人間は面白い。誰かを好きになるのは、その人が自分と同じだから好きになるのではなく、自分と違うから好きになるのだ。」
私は仏教徒ではないので、仏教の観点でのこの言葉の意味はよくわかりませんが、文字通り「他の人は自分とは違う」という意味に受け止めることは簡単でしたし、その時の彼女の話も腑に落ちるものでした。
日常の私たちの生活を振り返ってみると、私たちはすぐに、他の人が自分と違うことでイライラし、腹を立ててしまいます。自分はできるのに、何故この人はできないのか。自分がこんなに伝えているのに、なぜわからないのか。つまりその人が自分と同じでないことに腹を立ててしまうのです。
自分が自分自身と向かい合い、ありのままの自分を受け入れて愛することができていないことが、その原因の一つでしょう。自分を愛することができると、その人にはその人ならではの個性が有り、その個性は自分と違うことを感じ、受入れ、そして愛することが始まります。親子、夫婦、家族、職場の同僚、学校の友達、様々な人間とのつながりがありますが、そこで出会う、共に生きる人たちの一人一人は、まったく別の「個」として独立した精神性を持っていますし、その人達と暮らす自分自身も一つの「個」として独立した存在です。「個」としての精神性は、その人の持って生まれてきた「光」とも言えると思います。
子どもは成長発達の道を歩んでいますから、少しずついろいろな能力を獲得していきます。今できないことも、その子どもの成長発達の道のりの中で、できるようになるでしょう。親や教師としての自分が、その子どもに「こうあって欲しい」、「こうあるべきだ」という考えを押しつけてしまうと、思い通りにならないことに対して苛立ちを感じてしまいます。その意味でも、その子どもの成長発達について学び、子どもをよく観察することができ、子どもの持つ「光」を感じることができると、その時点でまだできないことを期待したり、できないことにイライラしたりしないですむかもしれません。
自分が関わる人は皆、(子どもでも大人でも)自分とは違う人間。「他は己ならず」ということが他の人と関わるときの基盤となるとよいと思います。そしてその出発点は、自分と向かい合い、自分のありのままの姿を受入れて、自分を愛していくこと。そして、この自分を愛するということは、エゴイスティックで自己中心的になるということとは、真逆です。
冬至の一年で一番暗い時期に毎年やってくるクリスマス。一人一人の人間の中に、その人ならではの「光」があることの素晴らしさを感じ、その「光」と暖かく受け入れ、共に歩めたらと思います。