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園長お便り

​こちらは、園だよりで掲載されている巻頭言です。

2022年4月号

      『子どもの成長に寄り添うこと

 

 

ちょっと寒い四月でしたが、やっと春らしくなってきました。四月の保育園の風物詩、新入園児の泣き声も少しずつ少なくなってきました。だんだんと保育園での生活に慣れ、ここが自分の家のようなところ、他の子どもたちや保育士たちや他の職員たちも家族のように感じるようになっていきます。

 

四月六日は小学校の入学式、先月卒園した子どもたちが、式の後に保育園に寄ってくれました。入学式でおしゃれしてピカピカのランドセルは背負っているけれど、まだ、保育園児の顔や姿のまま。これからどのように成長していくか、とても楽しみです。

 

そして三月の小学校の卒業式の後、そして中学校の入学式の後にも、卒園児たちが来てくれました。小学校での六年間でこんなに成長するのだと感じることのできる素敵な時間です。どの子も保育園児だった時の雰囲気や面影は残っていますが、十二歳のその姿は、在園中には想像することはできません。ああ、こんな感じに育ったんだ、と驚きがあります。これから大人に向けてどのように育っていくのか、本当に楽しみです。

 

子どもたちの成長を直接感じて寄り添えることは私にとって大きな喜びです。保育、教育の仕事をつづけている理由です。

 

その子の未来の姿を先に知ることはできません。子育て、保育、教育の大変なところであり、面白いところです。野菜の種の袋には、よく育ったその野菜の写真や絵があり、そのように育つものだと納得して、私たちは種をまき、育てていきます。しかし、生まれた赤ちゃんがどのような三歳児になるのか、どのような小学生になるのか、大人になるのかを、私たちは先に知ることはできないのです。神のみぞ知る領域です。

 

面白いことに、子ども自身も、自分がどのように育っていくのかを知りません。でも、自分はどのように育っていくのか、どのような人生を送るのか、どのような課題を持って生まれてきたのか、といったことを無意識には知っているのでないかと、私は思うのです。

 

その子どもに関心を持ち、あたたかく、よく観察すること。ありのまま「今の姿」を、好き嫌い、良い悪い、正しいか誤りか、皆と同じか違うかなどの、感情や判断抜きに、受け入れて肯定すること。そうしていくと、その子が生まれながらに持っている「どのように育っていきたいか」という、その子自身も自覚していない意志のようなものを、感じることができるかもしれません。その子に関わる大人が、その子のためにと善意や愛情から行うことでも、子どもの自ら育っていこうという意志と合致しないと、空回りになってしまいますし、子どもの領域への侵入、介入、お節介になってしまい、うまくいかないことが多いのです。

 

子どもの存在に耳を澄ましてみましょう。その子がどう育ちたいかが、それによってわかるわけではありません。しかし、少しですが、子どもの育っていこうという意志に気づくことができるようになるかもしれません。それによって、その子どもの本来の成長に、寄り添えるのでないかと思います。耳を澄ます前提となるのは、生活や保育の中の静けさです。

​過去のお便り

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